16 履正社の人 −RISEISHA 100 Stories

サッカーで
大阪の街を熱狂させたい。

山地泰平さん

株式会社OsakaCitySC
代表取締役社長

2017年 履正社医療スポーツ専門学校
ウェルネススポーツ科アスレティックトレーナーコース卒業

「世界で活躍するサッカー選手」が、子どもの頃の夢でした。小中高とサッカー漬けの毎日を過ごしましたが、高校最後の大会で現日本代表選手がいる強豪チームと対戦して完敗。それまでは大学に進学してサッカーを続けようと漠然と考えていましたが、選手としては限界かなあ……と、初めて立ち止まって将来を考えました。

 そんなとき履正社医療スポーツ専門学校に進学していたサッカー部の先輩に、「おまえもこの学校に来いよ」って誘われたんです。アスレティックトレーナーコースなら資格も取れるし、就職にも役に立つぞって。サッカーは趣味として続けながら、2年間のモラトリアム期間を楽しもう。そんな軽い気持ちで入学しましたが、甘い考えは、すぐに打ち砕かれました。

 サッカーばかりやってきた自分にとって、専門学校の授業はハード! の一言。スポーツ医学や解剖学、生理学など専門的なことばかりで、骨や筋肉の名前を全て覚えることがまず大変でした。効率的な勉強方法も分からないので、とにかく教科書の内容を何度も何度も繰り返し書いて。頭の中に刻みつける感じです。そうやって必死に、深く勉強したことで、初めて身体の構造を理解できました。プレーヤーの時はケガばかりで、高校時代に傷めた膝は今でも痛みます。ケガをしない身体の使い方や強いフィジカルを作るためには何をすればいいのか、今となってはわかります。でももし、高校時代の自分に身体の専門知識があったなら、サッカー選手としてもっと上のレベルまで行けたのかもしれません(笑)。

 アスレティックトレーナーは選手の身体、命を預かる仕事。生半可な姿勢ではダメです。履正社の先生方は厳しくもあり、根気強く熱心な方ばかり。選手のトレーニングメニューを組み立てる時は、目的や流れなどを細かく聞かれました。ある日の実習で、選手にスクワットを指導する予定がありました。自分で考えた計画表に「(スクワットを行う際の)印としてコーンを置く」と書いたら、先生に「それ、高さと幅は何センチのコーン?」って言われたんです。……現地まで測りに行きました(笑)。当時は1限(9時半)開始前までが、先生に実習内容を相談できるチャンスでした。朝7時に計画表を見せに職員室を訪ねたら、先生が待っていてくれたのを覚えています。

 とにかく考える力が鍛えられた学生時代で、今の自分の根っこの部分にしみついています。失敗と向き合うことも学びました。先生に「なんで失敗したの?」って、必ず言われるんです。だから、振り返って原因を探るしかなかった。自分の失敗と向き合うのって、すごくしんどい。でも、目をそらさず、振り返ることを積み重ねた経験があるので、今、つらいことがあってもやっていけてます。

ロンドンへのチーム帯同が、

人生の転機に

 卒業後は、母校の京都共栄学園高校サッカー部でコーチ兼トレーナーを3年間務めました。コーチ3名に、部員は約80名。トレーナーはいませんでした。選手って多少無理してでも試合に出たいんですよね。はからずもオーバーワークをさせてしまって、ケガする子も少なくなかった。そうなる前にストップをかけるのがトレーナーの役割です。僕がチームを見るようになってからは、ケガ人がめっきり減りました。府大会の決勝にもサッカー部創設以来、初めて進出したんです。チームの強化に、少しは貢献できたのではと感じています。

 チームについて3年目の冬、海外遠征にも帯同しました。行き先はイギリス・ロンドン。プレミアリーグを観戦するほかに、チェルシーの下部組織とゲームをするという、めったにない機会がありました。チェルシーは当時、チャンピオンズリーグの優勝チーム。あの時、対戦した選手の何人かが今、トップで活躍しています。選手たちのスケールの大きさには、本当に圧倒されました。何よりプレーがのびのびとしていて。僕ら日本人って仲間に気を遣いながらプレーしがちなんですけど、向こうは自分のしたいことしかしない。でもめちゃくちゃ強いんです。すごく刺激を受けました。

 帰国して日本のサッカーを見た時、もの足りなさを感じる自分がいました。ロンドンって、週末にバスが来なくなることがあるんですよ。運転手がサッカーを観に行っちゃうらしくて(笑)。試合の日は街から人が消える。「日本でそんなことって、あり得ないよな。でももし、そんなことがあったら……」って。そこから、チーム立ち上げに向けて動き始めました。23歳の時です。

 今は大阪市中央区に拠点を置く社会人サッカークラブ「OsakaCitySC」の経営者として、選手のスカウトをはじめ、スポンサー集めに奔走しています。スカウトの際は、プレーだけでなく、身体の使い方も見ます。どんなに上手くても、故障の可能性がありそうな選手は取りません。思わぬところでトレーナーの知識が役立っています。そうやってゼロか100かの選手に声をかけるんです。ドリブルだったら誰よりもうまいとか、走りだったら誰にも負けないとか。オールラウンダーではなく、何かに突出した選手をうまく組み合わせたチーム作りを目指しています。

 目標はJリーグ、最終的にはJ1昇格を目指すのでスタジアム建設も視野に入れています。だからとにかく、資金が必要。毎日4件ぐらい、新規スポンサー獲得のため営業アポイントが入っています。今、スポンサーは50社を越えましたが、さらに80ぐらいまで増やしたい。大阪市内にスタジアムを作ろうとしたら、180億円ぐらいかかりますから。でも、実現不可能とは思っていません。チームの本拠地がある中央区は中小企業がたくさんあり、アクセスも良く、人口も多いし、ポテンシャルが高い街。クラブ経営をするには最高の場所だと思います。大阪にあるJチームの収支表や決算書、めっちゃ読み込んで研究してますよ。海外の企業にもアプローチしています。中国、タイ、ベトナムといったエリアは今、高度経済成長期かつサッカーブームで、実際に今、とあるベトナムの企業とやりとりをさせてもらっています。

 新規のスポンサー獲得は、一筋縄ではいきません。でも自分たちは、大阪市中央区に登記されている会社17000件に、1件ずつ電話しています。恐れずに突き進む情熱と根性は、履正社時代に培われたんじゃないかと(笑)。大変ですけど、今すごく楽しいです。

 

Profile

山地泰平さん

Taihei Yamachi

1997年、京都府生まれ。京都共栄学園高校出身。2015年に履正社医療スポーツ専門学校ウェルネススポーツ科へ進学し、卒業後はパーソナルトレーナーとして活動する傍ら、母校の京都共栄学園サッカー部にコーチ兼トレーナーとして携わる。2020年社会人サッカーチーム「OsakaCitySC」を創設、代表に就任。「大阪市中央区からJリーグへ」という目標に向かって日々邁進する。