2023年から、ドイツのホルシュタイン・キールというチームでプレーしています。自分は初年度に31試合で5ゴールを挙げ、クラブ史上初のブンデスリーガ昇格を達成したチームに貢献することができました。ブンデスリーガは世界中に放送されるので、日本の方々との距離が近くなることも嬉しいです。
キールは僕にとって初めての海外移籍でした。語学の壁は依然として高いですが、自らチームの輪に飛び込むことでコミュニケーションを取っています。例えば、練習施設にあるサウナには試合前以外はほぼ毎日入っていて、交流するようにしています。チームメイトのほとんどは、水風呂に入ってから外で体をクールダウンさせる「外気浴」を知らなかったので、僕がみんなに“ととのい方”を教えている最中です。
思えば、履正社高校で過ごした3年間がなければ、プロへの道も拓けていませんでした。地元の三重県を飛び出して履正社に来たのは、より厳しい環境に身を置きたかったから。他の高校やJリーグのユースも見学しましたが、林大地さん、田中駿太さんをはじめ履正社のサッカー部は練習の強度が高いだけでなく、部内競争も激しい。練習環境も整備されていて、ここなら間違いないと思いました。
入学した当初は、すぐ感情的になってしまいがちで、選手以前に人として未熟だったかもしれません。それでも、先生やコーチが何度も叱ってくださったからこそ、成長できたと思います。また2年生の夏、監督の平野先生に勧められたポジション変更は大きな転換点でした。ボランチからフォワードへコンバートされ、日本高校サッカー選抜の一員として参加したU-18Jリーグ選抜との試合では、フォワードとしてゴールを決めることができました。これがきっかけで、プロへの扉も開きました。
ドイツでみた
素敵な光景。
学校生活を振り返ると、当時は携帯電話の所持が禁止でした。それもあってか、練習の行き帰りのバスや自由な時間にみんなと話したり、考えたりする時間がたくさんありました。今こうして海外に来てみると、たとえばレストランで注文を待っている時など、スマートフォンを触っている人がほとんどいない。景色やお喋りを楽しむ人たちの姿を見てすごく素敵だなと思って、高校時代を思い出したこともあります。
学校近くの下宿先での一人暮らしは、食事面でのサポートをいただけたこともあって乗り切ることができました。近所の居酒屋「三太」さんや、野球部の同級生のお母さんには本当に感謝しています。3年生になる頃には朝練も個人的にこなせるようになってきて、あの頃の一人暮らしの経験のおかげで、今、一人でも洗濯や掃除、食事が不自由なくできるのかなと思っています。
プロサッカー選手になってからは、すぐに厳しさを痛感しました。卒業後に加入したJ1の横浜F・マリノスでは、実力不足で1試合も出られず、練習さえ参加させてもらえませんでした。その悔しさは今も忘れていません。その後、所属したギラヴァンツ北九州や湘南ベルマーレでも、絶好の決定機を外したり、自分のミスのせいで負けたり。それでもなんとか踏ん張って結果を出し続けたことが、日本代表への召集にも繋がりました。2022年のカタール・ワールドカップでは登録メンバーに選ばれながら、出場機会を得ることはできませんでしたが、その経験もあって海外思考が強まりました。
苦しんで、必死にもがいて。振り返れば、履正社から今日まで、毎年がターニングポイントでした。その中で出会った、たくさんの方々のおかげで今の自分があります。これからも、子どもたちや後輩の皆さんに目標としてもらえるようなインパクトを残すサッカー選手として、世界で活躍します。