昭和40年11月演劇部員とともに

入学当初は、硬式野球部に投手として入部しました。階段のうさぎ跳び、グラウンド外周走、玉拾いをしたことをよく覚えています。高校2年の文化祭の折、同級生で漫才師の馬場添君(後のこぼん)から「一緒に演劇をやらないか」と誘われ、演劇部を立ち上げました。思い出の劇「轍」を通して、顧問の玉置喜久治先生と共に活動していました。