新型コロナウイルス感染症は行政にとって、まさに有事でした。最初に緊急事態宣言が出された2020年春には、十分な情報がない中で実態を把握するだけで必死。冬の第三波では川西市でも医療が逼迫し、救急搬送にも支障が出て、市長として眠れない日々を送りました。
やるべきことは山のようにありました。地域医療の確保、自宅療養者への支援、ワクチン接種の手配、学校を中心とした子供たちへのケア、疲弊した地域経済への対策など挙げればキリがありません。先を見据えての行政や教育のオンライン化も課題でした。常に市のトップとして決断を下さないといけません。
有事だからこそ、優先事項を明確にしなければならない。「命に関わることを最優先する」と決めた上で、一番初めにしたことは、市長選での公約、マニフェストなど市長の方針、目玉事業をすべてストップすることでした。コロナ対策に集中するためです。市政運営をしていると、コロナ以外でも日々状況は変わります。その都度新たな判断を求められますが、朝令暮改と批判されてもいい。自分の信用、実績より市民のためにその時の最善の判断を行う。そう決めています。
その信念を支えてくれたのは、高校で出会った履正社の校訓三綱領の一つ、「履正不畏」でした。「自ら正しいと信じることを、何ものも畏(おそ)れず正々堂々と実践する」――。たとえ批判されたとしても、今は市民のために正しいと思った方向で進むとき。リーダーとして、政治家として原点に戻って、正しさに基づく判断をしよう。迷ったときも気持ちの拠り所にさせていただきました。
正直に言うと、「履正不畏」という言葉の意味について在学中は深く考え抜くということはありませんでした。意識したのは市議になってから。出席したOB会で久しぶりに「履正不畏」と聞いたときも「どんな意味やったっけ」の次元でした。でも調べてみると、これは大切にしないといけない言葉だと気づかされました。母校があってこその“出会い”でした。
政治家を志す原点となったもの。
高校時代は楽しい3年間でした。充実していましたね。思い出が受験勉強だけということにはしたくなかったから、頑張りました。1年生の後期から丸2年、生徒会長もさせてもらいました。「高校生活は先生が決めるものじゃない。自分たちで決めたい。鞄や靴も自分たちで選びたい」と、今考えると生意気な主張もしました。でも先生方はしっかり向き合ってくれました。
文化祭も盛り上がりました。ライブステージや出店で活気があって、女子学生もいっぱい来てくれた。みんなから「ありがとうな」「楽しかった」の声を聞いて、人に喜んでもらうために汗をかくことがやり甲斐だと分かりました。これが政治家を志す原点の一つになったと思います。
市民のために、と格好つけて言わせてもらいましたが、そんなにすごい人間ではありません。悩んでばかりです。でも、悩みって、本当のところはどうしたらいいか答えは見えているものだと思います。それでも悩むのは保身だったり、欲や見栄、人の評価を気にするからではないでしょうか。「履正不畏」は、そんなことも気づかせてくれる。奥が深い言葉です。